asokka
代表インタビュー

誰だって、
誰かの役に立つことで、
生きてる!ってことを
実感しようとしてるんじゃないかな。

倉持利恵

——倉持さんって、仕事に取り組んでいるとき、“よく笑う人”というイメージがあります。いつも前向きでいられる秘訣ってなんでしょう?

私、いつも笑ってます?(笑) 天真爛漫な性格ってほどではないと思いますが、「働く」ってことにはすごく集中するタイプかもしれませんね。
私の実家は漁業を生業にしていました。
北海道の松前という町です。道南の端っこにある小さな漁村。
父は代々の漁師を継いで、主に昆布の養殖をしていました。

父と談笑する倉持利恵
松前に帰省したとき父と久々の談笑(2013年)

私も夏休みや冬休みになれば、港に行って浜の仕事を手伝いました。
友達と連れ立って遊びに行くことはほとんどなかったかな。

そんな毎日だったので、私にはおのずと「生きていくためには働かなくてはならない」って感覚が体に染みついたのも、そうして父と母の背中が語る何かを受け止め、受け入れていった時代があったかもしれないですね。
そう、ずっと「仕事がなくなったら怖い」って思ってましたから。

——そんな「仕事」に対する思い入れは、いま「テレワーク×障がい者」に取り組むこととは決して無縁ではないのでしょうね。
独立する前は、6年ほどテレワーク専門のコンサルティング会社でテレワークによる障がい者事業を推進してきました。
「テレワークによる障がい者雇用」というテーマで講演やセミナーも多数開催していますね。それ以前は何をされていたんですか?

制作会社の管理部門で人事も担当していました。
200人ほどの中小企業で、営業職のほか、編集者やデザイナーなど、クリエイティブ系の社員も多くいたので、いろんなタイプの人たちに揉まれて、私も成長しました(笑)。
実は「障がい者雇用」に挑戦したのはそのときなんです。

——きっかけはなにかあったのですか?

当時、法定雇用率が上がり、そのために一定人数を雇用しなければならなくなりました。
どうやって推進すればいいのか、知識も経験も全くない状態から始めました。
当時部長職としてある程度自由に判断できる立場になっていたこともあって、推進していくうちに、もっと多様な人を会社組織に受け入れられる環境を作ってみたいな、って思いはあったんです。
それで、半ば独断で(自分の裁量の範囲で)障がい者雇用にチャレンジしたのが始まりです。

——独断…倉持さんらしいですね(笑)。

ただ勝手に始める以上、実績を作って会社に認められないと「仕事」としては中途半端だな、とは思って、部下たちに宣言したんです。
「賞を取ろう!」って(笑)。

——賞…ですか?(笑)

国や行政では旗振り役を全うするため、雇用促進の企業の取り組みにそうしたインセンティブを与えたりしますよね。
それで「賞取り」を旗印に目標を掲げたら、みんな「がんばろう!」ってなって(笑)。
それで、東京都のワークライフバランスの認定企業として指定をいただいたり、障がい者雇用の優良中小企業として表彰されたりしたので、会社にも「そ、そうか、じゃあ、引き続き取り組みなさい」って言ってもらえるようになってました(笑)。

——その成功体験が、倉持さんの障がい者雇用のスペシャリストとしての才能を開眼させたんですね!

倉持利恵

そんな華やかなものではなかったですが——でも、当時障がい者雇用で採用したひとりと出会ったことは、いま振り返っても大きな転機だったな、って思い出します。
彼は当時20代。統合失調症を持つ精神障がい者でしたが、人一倍労働意欲が強く、いつも一所懸命でした。
そのひたむきな真剣さは、当初受け入れに懐疑的だった社員たちをも次第に心を開かせ、お昼休みには連れ立ってごはんを食べに行く光景も見られるほどに。
どんな障がいがあっても本人の意欲と成果が伴えば、組織や社会は受け入れていくものなんだな、って私自身も深く納得できる、そんな影響を与えてくれた青年でした。

しかし——ある時から体調を崩してしまい、就労を継続できなくなりやむなく退職することになってしまいました。
出社最後の日、わざわざ彼が私のところに挨拶に来てくれて、こう言ったんです。
「自分よりもっとやる気と才能のある精神障がい者はたくさんいます。だから、倉持さん、障がい者雇用はやめないでください」

彼としては自分が辞めざるをえなくなったことで、私がこの取り組みへの意義を失うことを恐れたのかもしれません。
そうなれば障がい者仲間たちの将来をも閉ざしてしまうかもしれない、そんな責任感もあったのかもしれません。
そんな思いやりというか、利他的な感受性を持ってくれていることに言葉を失ってしまって。
それで「そうだ、私はやめちゃいけない。もっと“働ける場”をつくろう」って決心したんです。

——障がい者の雇用に際しては、サポートする支援機関やNPOなどの団体との情報交換も欠かせませんね。

そうですね。彼を受け入れる時、そして受け入れたあとも、支援機関の方が足しげく会社に顔を出してくださり、日々の状況をヒアリングされ、日々の対処についてアドバイスしていただきとても助かりました。
こういう物言いは偉そうなのかもしれませんが——あぁ、世の中には志ある、尊敬できる人たちがたくさんいらっしゃるんだなあ、としみじみと感動したんです。
決して目立たない、常に黒子に徹しつつも、でもこの社会の大切な部分を守り育んでいる人がいるんだなあ、って。
障がい者雇用に今も携わっているのは、そんな温かい人たちとの出会いを求めているからかもしれないですね。

——倉持さんは東日本大震災のあと、足しげく被災地へも通っていましたよね。
それも人との出会いが足を運ばせた要因でもあったのでしょうか?

原発事故で住み慣れた家を追われ、慣れない土地の仮設住宅で暮らすことを余儀なくされた福島の方々との交流を、故郷へみなさん戻られた今も、ずっと続けています。
そんな“親戚みたいなおばちゃんたち”と関わりながら気づかされたのは——私、最初は「支援」で行っていたのに、いつの間にか「支援する側、される側」なんてどうでもよくなって、会いたい人に会いに行く、手伝いたい人を手伝う、っていう人とのつながりのあり方だったんですね。
誰かの役に立っている。
そのことほど人を奮い立たせることはない。
それは自分のためでもあるし、人のためでもある。そうして生き甲斐を感じる人にときに寄り添い、ときに慰められ、そしてお尻をたたく——そんな関わり合いっていいな、って思うんです。
それって障がい者雇用を仕事としてやっているいまも、一番大事にしてることって意味では同じだな、って。

福島県内の仮設住宅で、被災者の皆さんと夏祭りを楽しむ倉持利恵
福島県内の仮設住宅で、被災者の皆さんと夏祭りを楽しむ(写真奥から2人目/2013年)

——そんな倉持さんが、障がい者が働くということについて、感じていることは何でしょうか。

企業で働くとは、あくまで会社組織が業績を上げ、社会的に認められるために構成員は貢献をしなくてはならない話です。
だから極論を言うと、障がいの有無って本質的には関係ないんです。
採用する企業も、就労する障がい者も「甘やかし」や「甘え」はあってはダメ。
もちろん、配慮は必要です。
お互いが対等に切磋琢磨して初めて、「私はこの社会に存在していいんだ、人から感謝される存在でいられるんだ」っていう思いを感じられるのだと思います。

——「生きていくためには働かなくてはならない」とおっしゃっていたのは、「働くことで、人は、生きていることを実感できる」って意味なんですね。

私は、その人の通過点でもかまわない。仕事をする喜びを一人でも多くの障がい者に心から実感してほしくて、この仕事を選んでいるんだと思います。
それは私自身が、働いてる——「生きてる!」ってことですから!

倉持利恵プロフィール
2016年3月まで、都内の制作会社で、管理部門の責任者として、障がい者雇用や働き方の多様化プロジェクトを推進。
2014〜2016年度「東京都障害者就労支援協議会」の委員を務める。
2016年4月〜2022年4月 株式会社テレワークマネジメントにて、障がい者雇用事業部のマネージャーとして、30社以上の企業等に障がい者テレワーク雇用導入コンサルティングを実施。
2022年5月 これまでの経験と実績を活かし、株式会社asokka創業。
周りからは「楽しそうによく笑う人」と言われる猫好き女子。
養神館合気道 初段。

応援メッセージ
倉持利恵を語る

栃木県在住 Oさん

プロフィール
高校生の時に難病を発症し、通学が困難なため通信制の大学を7年かけて卒業
社会的に認知度が低い難病だったことから、約10年かけて公的サービスの必要性を 交渉し障害者手帳を取得、介護サービスの利用等で生活基盤を整備
通勤が困難なためテレワークでの就労を目指し 2018年から東京都内の大手企業の特例子会社で働き始める


私が「テレワーク」という言葉に触れるとき、脳裏には必ず倉持さんのお顔が浮かびます。
初めて「テレワークで働くこと」の可能性に出会ったのは、知人が参加したというセミナーのパンフレットを渡された時でした。
そこには、倉持さんがセミナーでお話しされている姿と、いきいきと病院内からテレワークで働いていらっしゃる方の姿が写っていました。
「もしかしたら、自分にも可能性はあるだろうか?」 私自身も難病を抱えており、通勤を伴う就労は体力的に難しいと思っていたので、これは働くことにつながるチャンスかもしれないというかすかな予感とともに勇気を振り絞って倉持さん宛のメールの送信ボタンを押しました。

それから、早4年の月日、インターンシップの経験とその時に倉持さんからいただいた言葉の数々は今も私の働く上での礎になっています。
そしてテレワークと出会ったことで、私の世界は制約はありつつも今も少しずつ広がっていると実感しています。

倉持さんは人とつながること、そしてつながった人同士をつなげる人、まさに人とのつながりにおけるHubになる存在だと私は思っています。
さらに当事者目線も企業目線も持ち合わせていて、ニュートラルに人のお話を聴いて「あっ、そっかー!」と気づける人でもあると思います。
「株式会社asokka」という社名は倉持さんらしい広がりと大らかさを感じました。

倉持さんの講演にご一緒させていただくとき、テレワークという働き方を知った方のお顔の輝きは4年前の自分を見ているようです。
障害者のテレワークに関するコンサルティング事業と在宅の就労移行支援事業所によって4年前の私と同じように自身の可能性を発見できる方やその可能性に気づいて手を取り合っていける方が一人でも増えていくことを期待しております。

松山 純子

YORISOU社会保険労務士法人 
代表 松山 純子

プロフィール
14年間福祉施設(身体・知的・精神)で人事総務およびケースワーカー業務を経験し、平成18年6月に松山純子社会保険労務士事務所を開業。平成29年10月に法人化、「YORISOU社会保険労務士法人」としてスタート。
企業が働き方の選択肢を模索すれば、従業員の雇用継続ができる方法が見つけられる。
その方法を見つけるお手伝いをするために、企業側と従業員側の両方の視点を持ちながら、時間管理の整備、就業規則の作成、助成金、採用コンサル、障害者雇用コンサル、障害年金の手続きを行っている。


倉持さんとは2018年の厚生労働省のテレワークによる障害者雇用促進事業を推進するときに、出会いました。
かつて、社会福祉法人で仕事をしていた時に、完全在宅のテレワークで働く重度障がいの人の支援に関わりました。
それを、倉持さんが民間企業で推進していることが衝撃的でした。
コロナ以前は、まだまだテレワークは浸透していませんでした。
その当時から、障がい者のテレワークに取り組んでいる人がいることに未来を感じました。

私たちの顧問先企業に、テレワークによる障がい者雇用を提案したとき、最初は消極的だった相手が、倉持さんの話を聞いているうちに、できるんじゃないかと変わってきたことがありました。
そして、取り組んでみたら実際に雇用できただけでなく、その後に雇用した複数の人たちが活躍しています。

倉持さんはすごく明るいし、言葉に思いがのっている人だと思います。
企業や障がい者とやりとりして、活躍できることを経験しているので「大丈夫できるよ。」という説得力があると思います。
だから周りの人たちが動くのだと思います。

倉持さんは、企業へのコンサルティングと障がい者本人への支援の両方をやってきた人。
障害年金の仕事をしていると、在宅勤務を希望する人たちは、感覚過敏やコミュニケーション等に問題があって、他社でうまくいかなかった人が多いです。
このような人たちのことを理解して、訓練する場所を作り、企業への橋渡しをしてくれることに「ありがとう」という思いしかないです。

在宅の就労移行支援は、ご本人たちが働きたいと言っていい、働くことを考えていいのだと気づく場所になるのではないかと思います。
働きづらさを抱えている人たちがテレワークで働くことで、笑顔になり自分の存在価値を感じられること。
障がい者雇用によって、企業風土が変わり企業が成長していくこと。
これを広げていくことをともに目指していきましょう。

成澤 俊輔

成澤 俊輔
(なりさわ しゅんすけ)

プロフィール
1985年佐賀県生まれ。埼玉県立大学保健医療福祉学部社会福祉学科卒。
3歳の時に網膜色素変性症という難病であると診断される。
この病気は網膜に異常がみられる遺伝性・進行性の病気であり、現在では辛うじて光を感じることができるほどの視力しかない。
自身の障がい以外にも姉の小児がんによる死別や、海外渡航経験、普通学校での教育の壁、7年間にわたる大学での苦悩など、様々な社会的課題に遭遇。
大学在籍時からの経営コンサルティング会社での勤務や独立を経験し、2011年12月に障がい者雇用で経済産業省など様々な官公庁などからも表彰される優良IT企業「アイエスエフネットグループ」へ参画。
現在は、障がい者や、うつ、ひきこもり支援を行う活動を展開。「世界で一番明るい視覚障がい者」というキャッチコピーで講演活動を全国で実施している。


約10年前に出会ったとき、倉持さんは中小企業の人事総務の責任者、僕は就労支援事業所の幹部でした。
そのころ僕は就労支援事業所の障がい者のために、倉持さんは勤務している会社の障がい者雇用というテーマで一緒に仕事をしていました。

10年の間に、最初のテーマから組織や企業がより良くなることへの関心や仕事の幅が広がってきていると感じています。
障がい者にも寄り添っていますが、企業の中で孤軍奮闘している人たちにも寄り添い、企業に良い提案をしているのが僕たちの共通点です。

ある会社の社長が、障がい者雇用という捉え方ではなく、日本の人口動態分布と企業のそれは同じでよいのではないかと話していました。
地方の中小企業は、採用する人の選択肢が少ないのが実情です。
障がい者も含めて、働きづらさがある人たちを採用していることで、結果として障がい者雇用が進んでいる企業が少なくないです。
人の弱みに注目するのではなく、人の強みを活かしているのです。

障がい者を含む働きづらさがある人たちに働く機会を広げること、そしてより良い企業を増やしいていくこと、それが誰もが生きやすい社会になる。
これが、これからの僕らの仕事のテーマだと思います。

人はどんな人に魅了されるか?
それは、やったことのないことをやってみる、チャレンジする人ではないでしょうか。

倉持さんは、やったことのないことをやる人ですが、子供みたいに好きなことをハハハと笑いながらやっている感じがします。
この姿勢は、周りの人をポジティブに巻き込んで、その人たちがチャレンジすることにつながっていくと思います。

ある障がい者が、「仕事するようになって自由な時間は減ったが、自由にできることが増えた。」と言っていました。
良い言葉だと思います。
テレワークでそんな人を増やしていってくれると思います。

「asokka」の会社名の裏側には、自由、選べる選択肢、なかったことにしない、ということが含まれている感じがします。
「あ、そっかー!」この言葉が広がっていくのではないでしょうか。